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福岡市中央区に誕生する高級分譲住宅

セントレージ平尾山荘

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2011年12月13日

「高杉晋作」と「野村望東尼」

「セントレージ平尾山荘」は平尾5丁目に位置するのですが、
この平尾5丁目にはあの「高杉晋作」が身を隠した「平尾山荘」が在ることで知られています。

平尾山荘は野村夫婦が長男に現在の六本松の住まいを譲り、当時の平尾村の向かいの丘に山荘を作り、退隠した場所です。

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1859年夫が66歳で世を去り初七日が済むと、剃髪した野村望東尼は54歳で平尾山荘へと帰りました。その後2年経った頃の平尾山荘は、風流な場所ではなく、志士が国事を語る秘密の集会所となっていました。

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筑前の勤王党も望東尼と関係があったのですが、高杉晋作が平尾山荘に身を隠したのが1864年11月。山荘滞在はわずか10余日にすぎなかったようですがその間、望東尼は厚くもてなしたそうです。
その時、高杉が26歳、望東尼が59歳の事でした。
一説では、愛人関係にあったとも云われていますが、この年齢差では考えにくいことです。おそらく高杉は望東尼に対して「志士の母」として、尊敬と感謝の念を抱いていたと思われます。
その後、福岡の藩論は一変し、多くの志士が入獄や死罪に処せられ、福岡藩の勤王派はたちまち壊滅しました。望東尼は勤王の志士をかくまった罪により、60歳という高齢にも関わらず、姫島(現在の糸島市志摩)へ流刑となりました。

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現在もその 獄舎跡が残っています。

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10ヶ月後に高杉晋作の計らいでそこから救出され、山口県の下関へ。
その後、29歳で病死した高杉晋作の柩を送って埋葬すると、薩長連合の出征を見送るため、山口から三田尻に移り住み62歳の生涯を閉じています。
復元されている平尾5丁目の平尾山荘では、毎年11月6日の命日に、望東尼祭が行われています。

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posted by amerepos at 16:50| 平尾山荘の歴史について
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※掲載の写真やCG・イラスト等は、イメージにつき実際とは異なります。

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